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  • 執筆者の写真加藤亮太

「自分の『怒り』と向き合う本」水澤都加佐、スコット・ジョンソン、黒岩久美子

更新日:2019年1月20日

 ニュースで、都内高校で教員が生徒へ暴力を振るう映像がネットで拡散した、ということを知った。

 そのニュース映像は、その拡散動画を流していた。

 以下、ニュースの内容をざっと。


廊下で教師と生徒が二人がメインで映っている。(撮影者は別の生徒のようだ)
罵声を浴びせる生徒。それに言い返す教師。
生徒の言は、教師を挑発するような内容。
教師は、その発言に腹を立てたか、ついに生徒を殴る。
殴られてうずくまる生徒にさらにつかみかかる教師。
そこへ教室から出てきたらしいほかの生徒たちが複数名、制止すべく、駆け寄る。

・・・


 と、だいたいこのような映像。

 この動画がネットを介して拡散された。と、ニュースは伝えた。


 そして、ニュースは、関係者の弁を伝える。


 校長の弁。

「被害を受けた生徒の心情やショック、気持ちのダメージを考えると、いたたまれなく、本当に申し訳なく思っている」

 教諭の弁。

「感情的になってしまい、反省している」

 都知事の感想。

「体罰は避けなければならない。都教委はこれまで体罰根絶のため、いろいろなガイドラインを作ったり、校内研修などの取り組みを進めてきた。こうした中、事態が発生したことは残念」


 これを見て、私は「違和感あり」と思った。

 なーんか、もやもやした感じがあるなあ。

 この時点では、そうとだけ、思っていた。


 さて、世間のみなさんはどうなのでしょうか。


 こういうときには、つい、ネットを使ってしまう。

 ネットニュースのページには、最近、「コメント」というものがあり、そこへユーザーがコメントを連ねてあり、また、ツイッターというもの、これはSNSというものの代表格で、ずいぶん流行しているらしいのだが、そこには、「リツイート」に「コメント」を付与する、という機能があって、つまり、自分の意見を元の情報に載っけることができるのだが、それらをざっと見たところ、


「先生も悪いが、生徒のほうが悪い」
「先生に同情する」

 というのが、私の見た限り、大勢を占めているようだ。

 ネットで発言している人など、物好きな、おせっかいな、そうとう珍しい人に違いないので、これらの意見が大勢を占めているからといって、世間のみなさんの大勢の意見、とはならないことだろうから、と考えると、私は少しホッとしていた。

 なぜなら、この大勢の意見にも、私は「違和感あり」と思ったのだ。


 先生が悪い、いや、悪くない、なら生徒が悪い、いや、悪くない、・・・

 そんな次元の話をしているのなら、この生徒と教師の陥った魔のループに自分も乗るにすぎないではないか。

 

 夜中、この一件がもやもやと脳内を漂い、私はなかなか、寝付けなかった。

 我輩の脳裏を覆う、この違和感をどう晴らすべきか。

 魔のループを駆けて、ぐるぐる、堂々巡りして、苦しく感じた。

 

 が、ついに、眠れたのだ。それはこの本を読んだから。


 

 「あなたも、“怒りの地雷”を抱えている!」と帯にある。


 私には、あの教師は「体罰」などという教育的な行為としてではなく、単に「キレて」いるように見えていたので、ここで言う表現では、あの生徒はあの教師の“怒りの地雷”を踏んだのだろう、そういうことかしら、と思われた。


 「アンガーマネジメント」という考え方を示す書の一つである。

 この考え方は、怒りという感情をいかに自制的にコントロールし、うまく生きていくか、といった、いわば、世渡りの仕方の啓蒙だろう、と思われる。調べたら細かいところは違うかもしれないが。


 私はそんな啓発本ごときには人生を左右されたくないと思っている者である。なぜなら、小学生のころ、人生の辛苦に思い詰めて読んだ「小さいことにくよくよするな」という啓発本は、そのころの私をまったく救いはしなかったからで、むしろそういった趣向の本=啓発本は毛嫌いするようになった。


 まあ、それはさておき、書店に行けば、「アンガーマネジメント」のコーナーが特設されているのを目にすることもあったし、この関連のことは、最近、少しは、気になってはいた。


 本書は、怒りの感情は、負の感情・マイナスの感情である、という見方をまず否定する。世間一般的に「怒ること=悪いこと」というイメージがあるが、それを否定する。


 私はこのことに、驚いた。「怒ることはいけないこと」と、34年間ずっと思っていた。

 同時に、怒ってしまう自分がいる。それもまた知っている。

 だから、「自分は、そうとう悪い人間だ」と、正味30年は思っていた。



 著者の言うとおりなら、私は悪い人間でなくなる。


「小さいことにくよくよするな」より、よっぽど優れた本である。

 そう思われた。


 著者曰く、「怒りは、当たり前の感情」。たしかにそうかもしれない。

 当たり前の感情なので、決して否定する必要ないし、否定しても、結果いいことがない。


 当たり前の感情は、他にも、「喜び」というのが、ある。

 喜ぶ人は、どうするか。

 笑うだろう。喜びを表現するために。

 これは当然のことだ。

 

 怒りも同じと考える。


 怒る人は、どうすべきか。

 怒ればいいのである。

 怒りを表現するといい。


 ただし、私たちはつい、イメージしてしまう。

 怒る表現

 =どなる、叫ぶ、殴る蹴る、物に当たる、攻撃的かつ率直に。


 このイメージ、誰が作ったのかしらないが、これは怒りの表現として、間違っている、と本書は説く。

「理想的に怒るべし」と。


 怒りの矛先が、人間だとする。

 なら、怒り方ひとつで、人間関係に影響がある。

 

 たとえば、

 怒ったとき、人にどなるとどうなるか?

「こらあー!!」 

 どなられた人はびっくりする。

 周りの人もびっくりする。

「怒らせるとどなる人だ」と思われる。

「あまり怒らせないようにしよう」と怯えられたりだとか、

「怒ってもあの程度か」とみくびられたり、

 あとあと、いいこと、ない。


「怒るから、叫ぶ、どなる。それが怒りだ」

 いや、これは、ただの思い込みなのだ、と本書は言う。


 人への理想的な怒り方とは、

「怒っていることを、ただ伝えればいい」と。


 「こらあー!!」

 ではなく、

 「あなたの先ほどおっしゃったことで、私は傷つきました。今後そういう言い方はやめていただけませんか?」

 と、話しかける。

 

 こういうのが理想と言う。

 理想は理想だ。いきなり理想に持っていくのは難しいかもしれないが。


 これはまだ本書をひとかじりした程度の内容で、

 本書には、精神カウンセラーからの、より専門的な知識、具体的な対処法が、私のような素人にもわかりやすく示されている。

 理想的な怒り方へと、自分の心理をどう作っていくか。それにはトレーニングが必要のようだ。具体的なトレーニング法も示される。


 とにかく、この中で、著者がずっと言っていることは、

 「怒りの感情を抑圧しては、自分の中に地雷を作るだけで、してはならない」

 ということだった。

 地雷をため込んだ人は、怒りを覚えた後、行動が危険な状態に及ぶことがある、と言う。

 まさしく、今回の「体罰」事件では、あの教師の行動はそれだろう、と推察される。


 読み終えて、ようやく私は眠れた。


 が、起きて思った。


 これは根本的な違和感をまったく解決しない、と。

 

 怒り、という感情をどう表現すべきか、はわかった。よく表現するといい。


 が、なぜ、あの二人は廊下に出てみたのか。

 そして、なぜ教師は殴ったのか。

 そもそも、なぜ生徒は教師をからかったのか。

 また、なぜこの動画は撮影されたのか。流布されたのか。

 さらに、なぜ教師と生徒の関係性は、こうなるまでに、落ちてしまったのか。


 この答えは、先日読んだ、荻上チキ著「いじめを生む教室」

 こちらを照らし合わせると、見えてくるようだ。

 おお、これは「いじめを生む教室」そのものではないか。


 そう気づいたとき、また夜を迎えておったものだ。


(塾にて常備。塾生は貸し出し無料。)

おすすめ度 ★★★☆☆(星3つ。怒りの感情をじっくり考えるには良い)


 

カトウ塾 中学生専用学習塾

葛飾区東水元5−4−20 ハイツセザンヌ101

Tel 03-6875-2942

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