• 加藤亮太

説明文と物語 読み方のちがい(物語編)

こんにちは。

「はじめてのおつかい」見るとすぐ泣きます。加藤です。




前回の続きでございます。



説明文は、


「いきなり理解不能なことを言いだした筆者の、

イイタイコトを、わかってあげて、さらにこちらはどう思うか」


強い関心と情熱をもって読む。



・・・というものでしたが、



物語・小説・随筆など

文学的作品、と呼ばれるものは、


「文章表現のプロによる、文章の大実験。出来事の大実験。

さすがプロ! おもしろ!

・・・・・・

いやいやいや、読者=あなたの感想はどうでもいいから、

いつ、どこで、だれが、何をした話?

登場人物はどんな気持ちになったわけ? で、それはなんで?」



というのが、物語を読み解く流れとなります。



あんがい、味気ないのが物語です。


非常に味気ない。


せっかく面白く書いてある文章は、

問い、として扱った瞬間、


物語はただの問題の材料となります。

正答のための、ただの証拠品となります。


読み、解く態度は、

数学の証明問題を解くように、

あるいは、怪事件を解く探偵のように、

科学的でなければならない。


つまり、


だれがやっても同じ答えになり、

いつ何度繰り返しても同じ答えになる、

といったような、

実証的で、合理的な思考・論法が

要求されます。




本来、物語は、


「おお! 読んだことないような、すごい表現だ!」


だとか、


「なんか知らないが・・・泣けてきた!」

「このストーリー展開、最高。痛快!」

「主人公みたいに、おれも生きていこう!」


・・・などのように、

読者の感情に訴えかける効果があります。



読書する、その喜びとは、


それは、文章の向こう、

つまり、物語のなかの世界、

さらにその向こうにいる作者、


作者は、地球の裏側の人かもしれない

あるいは、とうに死んでいるかもしれない、


そんな、一見ずいぶんと遠い存在である作者と、

われわれ現在に生きる読者が、


言語という二者共有の道具を介して、

つながることができる!


そうした不思議な出会いが、

第一の喜びかと思います。


人と人とが出会うには、

もちろん、じかに会って「よろしく」などとあいさつし合う、

というのが王道ですが、


読書のように、間接的に出会うことで、

新たに生まれる面白さもある。


なぜなら、

読者には読者の事情がある。

作者の操作できない範囲に、

読者は存在する。


たとえば、


眠い目をこすって、どうしても続きが気になるし、

なにせクラスの好きな子も読んでいたし、

で、ベッドの上、小さな読書灯の下で読んでいる、


またたとえば、


子どもが起きてくる前の、早朝。

ご飯の支度を早めに済ませて、用事と用事の隙間に、どうにか時間を作って、

今日は15分か、あるいは5分だけか、それでも読んでいる、


といった、それぞれの事情のもと、

読書は行われる。


だから、

作者が、物語の「作り手」「メーカー」であることはもちろん事実だが、

その物語の「受け手」である読者に、

物語が届き、読まれるまで、

その物語は、存在しないに等しく、


また、存在し得たとしても、

「受け手」がそのときの事情によっては、

冬の物語を、暑い夏に読むかもしれないし、

愛の物語を、死の際に読むかもしれないし、

そのとき流れていた音楽、

そのとき飲んでいた飲み物、

そのとき抱えていた悩み、

それらが、いつかどこかで作られた物語と、

ともに、

「受け手」に流入してくる。

その流入するものは、もはや物語の一部となって、

「受け手」はすべて受け入れつつ、


「はあ、読んだ」


と、読み、

そして、世界や作者と、出会っている。


・・・といった、ある種、思考する動物ならでは、

ロマンチックな要素が、

物語の面白さには、ありますが、


問いとして作られた時点で、

そんな事情は、

すべて無視されます。



そんな各人の諸般の事情なんて、知ったこっちゃないわけです。



問題製作者のおじさまが、

「この文章を読んで、きっと、少年少女の心に一輪の花が咲く、

その花は、きっと幸せの色、イエローだろう!」

だなんていうロマンチックな思い過ごしは、

ぜったいに起きません。


だから

「どうだった? 面白かったかい?」

だなんていう、問いは、

ぜったいにない。


こういった「読書のおもしろみ」は、

やはり各人の読書で感じ、

国語の読解においては、すっぱり捨てなければならないものです。



むしろあるのは、


とても現代的なたとえをすると、


社会学者の古市憲寿氏が、

問題文の声の主と思えば、良い心がまえができる。




太宰治の名著「走れメロス」が問題文だとして、


すると古市氏が、あの淡々とした一本調子で、

そしてガンガンきいてくるのです。



問「メロスってー、けっきょく友人のもとに戻ってくるじゃないですか。

なんでそんなことしたんですか?」


問「メロスは、どんな性格なんですか。よくわからないんですけど」


問「 『間に合う間に合わぬは問題ではないのだ。人の命の問題ではないのだ。私はなんだかもっと恐ろしく大きなもののために走っているのだ。 』

『この恐ろしく大きなもの』って何のことなんですか?」




これらはじっさいにあった問題です。


こうした、理屈屋(失礼)の古市氏の、いかにも言いそうな問いに、

われわれは正確に答えなければなりません。


つまり、


古市氏を納得させなければなりません!



正確に答えるためには、

冒頭でも言ったとおり、


「文章表現のプロによる、文章の大実験。出来事の大実験。

さすがプロ! おもしろ!

・・・・・・

いやいやいや、読者=あなたの感想はどうでもいいから、

いつ、どこで、だれが、何をした話?

登場人物はどんな気持ちになったわけ? で、それはなんで?」


この後半の点をふまえて、

自分側の事情はいっさい抜きにして、

冷たすぎるくらい冷静に、理屈っぽく、細やかに、読むことが求められる。



以上のように、


説明文こそ情熱的に、

物語こそ冷静に、


というのが、

それぞれの読み方のちがいでしょう。


両者はぜんぜん異なるわけです。



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