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  • 執筆者の写真加藤亮太

「理由」を述べる、罠


高校入試問題において、


論理的な思考ができているかどうか、問われる場面が多くあります。






国語では、作文。10点分。


英語でも、作文。12点分。


数学では、証明問題。14点分。



理科や社会でも、事象に関する記述問題や、データの読み取り問題があります。





これらは、まず「ある程度の文量を書くこと」が大きな壁になります。


国語においては、100字以上が絶対条件となっています。




これは訓練が必要です。


恥を捨て、間違えをおそれず、書くこと。



いずれ、楽しめる域に達することができるはずです。





ある程度書けるようになると、


次は条件をしっかり踏まえられているか。



どんな美文でも、与えられた条件から外れた文章は、大きく減点となります。




(英語では、自分が何人という設定か。


本人がイギリス人という設定なのに、

「私はいつかUKに行ってみたいです」というのは、

相当特殊な事情がない限りNGなわけです)







そこを超えたら、


次の次元は、


文章が論理的かどうか。






そこで、よく陥るミスが、







理由を述べるときの不注意。








あたかも理由のように「~だから」と述べているが、


それは理由になっているのか?







これは中3生の入試対策に限らず、


日頃、全学年の、とくに国語で、促しているところです。





夏期講習中の中3生には、特につついているところ。





例を挙げます。




「私はねむい。なぜなら、さっきまで部活だったから」



部活だったことが、ねむいことの理由になるはずがない。

部活で刺激されて、むしろ目が覚める人だっているだろう。


私はねむい。


なぜなら、部活で疲れたから。


これならわかる。





「私はアメリカに行きたい。なぜなら、行ったことがないから。」




「行ったことがない」は、「行きたい、という意志」の理由になっていない。



論理的ではありません。




行きたい、という意志がある。


その意志がなぜあるのか、を自ら言おうとしているのに、

行ったことがない、という自分の状況説明で終わっている。


私はアメリカに行きたい。


なぜなら、ニューヨークの自由の女神に登りたいから。

なぜなら、アメリカ人の思考を研究したいから。

なぜなら、銃社会がどういうものか、体感したいから。

なぜなら、アメリカの服が好きで、買いあさりに行きたいから。


これなら、わかる。





理由を述べるときには注意が必要です。



それが本当に、理由になっているのか。


チェックしながら述べるべきです。





しかし、


ほんとうの問題点は、ここにはありません。







わざわざ、理由を

述べようとするからいけないのです。








論理的に理由を述べるのは、大変難しい。





そもそも、だいたいの事象に、言い当てられる理由なんて、あまりない。



あるいは、



理由はあるのかもしれないが、それを述べるには、自分の知る範囲を超えている。









「なぜ山に登るのか。そこに山があるから。」







これは有名な登山家の格言で、この言葉が意味することには、深い意味や、浅い意味、諸説あるようです。



が、



そのような、一見、身も蓋もないような飛躍(?)にこそ、


行動の本質がある気がしています。






「勉強をする。なぜなら、良い高校に入りたいから」


「勉強をする。なぜなら、褒められたいから」


「勉強をする、なぜなら、将来良い職業に就きたいから」



これらは、すべて理由ではなく、「目的」です。







目的を持つことは、悪くはない。


が、コロコロ変わるものです。




人生、いろいろなことがあります。


いろいろな局面で、目的は変えていかねばなりません。







「勉強をする。なぜなら、勉強したいから」


「勉強をする。なぜなら、勉強が楽しいから」


「勉強をする。なぜなら、勉強が好きだから」




こうでなくちゃ。


(話が大いに脱線しました!)

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