加藤亮太

2022年8月22日3 分

「理由」を述べる、罠

高校入試問題において、

論理的な思考ができているかどうか、問われる場面が多くあります。

国語では、作文。10点分。

英語でも、作文。12点分。

数学では、証明問題。14点分。

理科や社会でも、事象に関する記述問題や、データの読み取り問題があります。

これらは、まず「ある程度の文量を書くこと」が大きな壁になります。

国語においては、100字以上が絶対条件となっています。

これは訓練が必要です。

恥を捨て、間違えをおそれず、書くこと。

いずれ、楽しめる域に達することができるはずです。

ある程度書けるようになると、

次は条件をしっかり踏まえられているか。

どんな美文でも、与えられた条件から外れた文章は、大きく減点となります。

(英語では、自分が何人という設定か。

本人がイギリス人という設定なのに、

「私はいつかUKに行ってみたいです」というのは、

相当特殊な事情がない限りNGなわけです)

そこを超えたら、

次の次元は、

文章が論理的かどうか。

そこで、よく陥るミスが、

理由を述べるときの不注意。

あたかも理由のように「~だから」と述べているが、

それは理由になっているのか?

これは中3生の入試対策に限らず、

日頃、全学年の、とくに国語で、促しているところです。

夏期講習中の中3生には、特につついているところ。

例を挙げます。

「私はねむい。なぜなら、さっきまで部活だったから」

部活だったことが、ねむいことの理由になるはずがない。

部活で刺激されて、むしろ目が覚める人だっているだろう。

私はねむい。

なぜなら、部活で疲れたから。

これならわかる。

「私はアメリカに行きたい。なぜなら、行ったことがないから。」

「行ったことがない」は、「行きたい、という意志」の理由になっていない。

論理的ではありません。

行きたい、という意志がある。

その意志がなぜあるのか、を自ら言おうとしているのに、

行ったことがない、という自分の状況説明で終わっている。

私はアメリカに行きたい。

なぜなら、ニューヨークの自由の女神に登りたいから。

なぜなら、アメリカ人の思考を研究したいから。

なぜなら、銃社会がどういうものか、体感したいから。

なぜなら、アメリカの服が好きで、買いあさりに行きたいから。

これなら、わかる。

理由を述べるときには注意が必要です。

それが本当に、理由になっているのか。

チェックしながら述べるべきです。

しかし、

ほんとうの問題点は、ここにはありません。

わざわざ、理由を

述べようとするからいけないのです。

論理的に理由を述べるのは、大変難しい。

そもそも、だいたいの事象に、言い当てられる理由なんて、あまりない。

あるいは、

理由はあるのかもしれないが、それを述べるには、自分の知る範囲を超えている。

「なぜ山に登るのか。そこに山があるから。」

これは有名な登山家の格言で、この言葉が意味することには、深い意味や、浅い意味、諸説あるようです。

が、

そのような、一見、身も蓋もないような飛躍(?)にこそ、

行動の本質がある気がしています。

「勉強をする。なぜなら、良い高校に入りたいから」

「勉強をする。なぜなら、褒められたいから」

「勉強をする、なぜなら、将来良い職業に就きたいから」

これらは、すべて理由ではなく、「目的」です。

目的を持つことは、悪くはない。

が、コロコロ変わるものです。

人生、いろいろなことがあります。

いろいろな局面で、目的は変えていかねばなりません。

「勉強をする。なぜなら、勉強したいから」

「勉強をする。なぜなら、勉強が楽しいから」

「勉強をする。なぜなら、勉強が好きだから」

こうでなくちゃ。

(話が大いに脱線しました!)

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