• 加藤亮太

「追悼の文学史」講談社文芸文庫編

最終更新: 2019年1月14日

 追悼文を、将来、書くかもしれない。

 それよりも先に、手紙は、したためるかもしれない。書くにしても、手紙にだって手紙として成立させる、それナリのマナーがあったはず。マナー事典なるものを、実家の本棚に、いくつか見たことがあったので、私もこんなナリで、一家の主、マナーくらい楽勝に守っていなければなるまい、マナー事典なるものを書店にてもとめたことがあったが、それがどこかへ行ってしまった。たぶん、インターネットで検索したら、たいていのマナーについては解説ページが存在するし、ときには動画でシミュレーションしてくれてい、本でいちいち読み取るより、受動的かつ体感的に知ることができ、これは手っ取り早い。

 なので、マナー事典は、手元にある必要がなくなり、どこかへやってしまったのだ。

 お通夜・お葬式にもマナーがある。これは葬儀社等がアップしているマナー動画を見ることで手っ取り早く知ることができる。私もこれを活用して、お通夜やお葬式に臨んだことが幾度もある。忘れてしまうので、幾度も。結婚式に、だって、そうであった。招待された、さあどうすべきか、到着後何をすべきか、入場までどうやって過ごすのか、人前結婚式はこうだ神前結婚式はこうだ。マナー、マナー、マナーである。なんだって俺はこんなにマナーを重んじなければならないのか、いつから人間はわざわざこしらえた決まりに縛られているのか、マナー上等、知ったこっちゃねえや、とわめきたくなるが、マナーの解説者は、こう言う。

「マナーを謹んで守ることこそが、お相手やその場を尊重することを意味するのです」

 たしかにそうかもしれない。

 マナーというのは、その場面場面で要求される、礼儀作法。この作法、わざわざ掲示したり招待状等に説明書きあるわけではないのだが、知らされぬうちに、のっとっていないと、イベントの主人の無言の要求をつっぱねたことになる。不義理である。これは、主人に対してのあえての不義理、だけで済むならいいが、自分以外のべつの関係者、つまり作法にのっとっている列席者の仕草をも無視したことになり、「あのご主人って、あんな無法者を列席させてしまう落ち度のある人だったんだ」という大勢の目が、今度は主人に向けられるので、それは二重に主人を貶めることをになり、そういうことを平気でしてしまう「あそこにいるヤバイ人」、として、幾重にも自らを貶めることになる、ように、このマナーっていうシステムはできているのだから。

 マナーのある場面に際して、我々は、謹んで、つまり、うやうやしくひかえめに、参加せねばならないわけだ。 

 マナーのある場面と言ったが、この世の中、マナーのない場面は、あるのだろうか。

 ないかもしれない。

 ちょっと考えても、たとえば、皇居の周りを走るにもマナーがあるし、銭湯に入るにも電車に乗るにもマナー、いやそれどころか、そこら辺をただ歩くにもマナーがある。ぼけーっと方角も知らん空見あげ、雲をおにぎりなんかに見立てて、鼻の穴を開放してほっつき歩くにしても、なんとそこにはマナーがある。ああインターネット上にだってマナーがある。人の気配あるところマナーあり。きっと、宇宙ステーションにもマナーがある。月面上でのマナーもきっとそろそろ、できあがる、はず。

「マナーなんて、知らねえよ。俺は、朝起きたら、母に『おはよう』と言われるが、無視するし、『めしあがれ』と促されても、何も言わないで味噌汁すするし、『いってらっしゃい』に関しては屁でぷうっと返事して、それでちょうどいいくらいに思ってるだ」

 こう言う人もあるかもしれないが、その人は家庭という場においてでもマナーがあることを知っているにもかかわらず、あえて無視きめこんで、あえて守らない自分を対面に作っているのかもしれぬ。その態度は、家庭内の何らかへの反抗を、アピールするための、行為しない、という、これまた行為であって、裏返すと、マナーの存在に大いに寄与している、と言っても過言ではない。だからマナーを崩壊させるのは容易なことではない。井上ひさしが、少年期、父が母に暴力するのを止めにかかったが、はじき飛ばされる、ということを繰り返していたら、脱毛症になった、と回想していたとのことを、新聞で読んだが、マナーを壊してしまったら、それほど痛々しい結果が生じるようだ。ああ容易ではなさそうだ。

 さて、追悼文にはマナーがあるのか。追悼というのは、故人を悲しみ、懐かしみ、嘆く、という行為だが、それを文章化するという行為は、文章という類型にあてはめた時点、文章にはやっぱりそれなりのマナーがあるのだから、マナーにのっとったものが出来上がりそうだが、果たして著名な小説家を追悼する文章だと、どうなのか。

 先ほど、葬式にもマナーがあると言った。また、文章にもマナーがあり、家庭にすらマナーは食い込んできているのだから、人間息するところマナーあり、という妥協点に、落ち着きそうだが、しかし、そうは、したくない。

 私は、小説家は、マナーを守らない人のことだと思っている。


 本書に収録されている三島由紀夫は、市ヶ谷駐屯地に私製の軍隊とともに乗り込んだ挙句、割腹自殺した。

 川端康成は「ちょっと散歩」と言ってホテルの一室の浴槽にて、自殺した。


 いや、この二人は、むしろ、マナーを頑なに守った、と言えるかもしれない。作家は作家らしく死ぬ、という、一種の行儀を守ったのかもしれないが、

 だが、衝撃的な守り方ではある。

 本書には、この二人への追悼文が載っている。追悼文というのは、だいたい、死してすぐ、関係者によって書かれるものである。死の報を受けて、どう書かれたのか。にしても、文字を並べるにあたって、それは文章だ、手紙とは違っても、ここにもマナーはあるだろう。このマナーを守りつつも、知人友人は、死を知って、どう戸惑ったか。私は、その戸惑いにこそ、マナーのない世界、いわば、野生の時が存在し、それは人の感情の振れ幅・蠢き方を豊かにし、また同時に、マナーの必然的存在を、なお一層、現出せしめて止まない、と思った。きちんとマナーを守る場で、誰も知らぬうちに動く感情の、わずかなさざ波こそ、案外、生々しく迫るようだ。

 果たして追悼文を書くことと手紙を書くこと、どちらが難しいのだろうか。あるいは、どちらを読むのがたのしいのか。


 とにかく、ぜひとも一読を、おすすめします。

 あるいは、ぜんぜん読まなくていいとも思います。

 以上、今回は、私・加藤の、純粋完全なる、趣味のコーナーでした!


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